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RM 9326138
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1997年9月22日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを発見 帰国前日、グアム知事招待の昼食会で、知事公邸を訪れた横井さん, 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 帰国前日、カマチョ・グアム知事招待の昼食会で、知事公邸を訪れたアロハ姿の横井庄一さん=グアム島の知事公邸で1972年(昭和47年)2月1日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 9頁のカット, 米領・グアム, グアム島
日付:1997年9月22日
人物:横井 庄一
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RM 37608225
横井庄一 佐藤栄作 (1972年4月)
Apr. 04, 1972 - Prime Minister Sato Meets Japan's ''Hold-Out'' Soldier: Prime Minister Elsako Sato (right) gives Shoichi Yokoi a pat on the back when they met at Sato official residence in Tokyo. Yokoi hid in the jungles of Guam for 28 years rather than give himself up, as he still had his rifle entrusted to him by the Emperor of Japan. Now that his health has improved while in a Tokyo hospital, Yokoi is fit to return to his home in Nagoya which he left 31 years ago after being conscripted into the Japanese Imperial Army in 1941. (Credit Image: ゥ Keystone Press Agency/Keystone USA via ZUMAPRESS.com)
日付:1972年4月4日
人物:佐藤 栄作, 横井 庄一
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RM 37608223
横井庄一 佐藤栄作 (1972年4月)
Apr. 04, 1972 - Prime Minister Sato In Tears On Meeting Japan's ''Hold-Out'' Soldier: An emotional Prime Minister Elsaku Sato (right) daba his eyes during his conversation with Shoichi Yokoi, the Japanese soldier who survived 28 postwar years hiding in the Guam jungles, when Yokoi visited him at his official residence in Tokyo. (Credit Image: ゥ Keystone Press Agency/Keystone USA via ZUMAPRESS.com)
日付:1972年4月4日
人物:佐藤 栄作, 横井 庄一
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RM 6569677
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
[追跡]20世紀 21世紀への伝言 横井庄一さん したくてこうなったんじゃない 帰国した横井さん, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9564829
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日 真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 37608211
残留日本兵 (1972年2月2日)
Feb. 02, 1972 - Hideaway Japanese soldier comes back home after 28 years in jungle: Shoichi Yokoi, the 56-year-old former sergeant of the defunct imperial Japanese army returned to his homeland 10 days after he had emerged from 28 years of hiding in the jungles of Guam and 31 years after he left japan to do his military service. photo shoichi yokoi, bursts into tears on returning to his homeland, at Tokyo airport. Too weak to walk yokoi was placed is a wheelchair on leaving the 8 plane which had brought him from Guam. (Credit Image: ゥ Keystone Press Agency/Keystone USA via ZUMAPRESS.com)
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 37608204
残留日本兵 (1972年2月2日)
1972 - Shoichi Yokoi since his capture and after receiving food and a haircut. (Credit Image: (C) Keystone Pictures USA/ZUMAPRESS.com)
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 37608183
残留日本兵 (1972年2月2日)
Dec. 09, 1968 - Hideaway Japanese Soldier Comes Back Home After 28 Years In Jungle - Shoichi Yokoi, the 56-year-old former sergeant of the defunct Imperial Japanese Army returned to his homeland 10 days after he had emerged from 28 years of hiding in the jungles of Guam and 31 years after he left Japan to do his military service. Photo: Weakened by his life in the jungle,Yokoi is helped to stand by a nurse as he waves to cheers from the crowd at Tokyo airport on his arrival from Guam. On the right is Japanese Health & Welfare Minister Noboru Saito (glasses) who was there to welcome him back to Japan. (Credit Image: ゥ Keystone Pictures USA/ZUMAPRESS.com)
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 13137487
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
医師と看護婦にかかえられ故国を踏みしめる横井庄一。羽田空港で
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9564852
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、出迎えの人たちに手を振って車に乗り込む横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から降りて祖国の土を踏みしめ、出迎えの人たちに手を振りながら車に乗り込む横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 5ページ掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9564847
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、祖国の土を踏み、第一声をあげる横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から降りて祖国の土を踏みしめ、第一声をあげる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 5ページ掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9564845
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、祖国の土を踏み、第一声をあげる横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から降りて祖国の土を踏みしめ、第一声をあげる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 5ページ掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9564841
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、祖国の土を踏み、第一声をあげる横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から降りて祖国の土を踏みしめ、第一声をあげる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、影山日出夫撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 5ページ掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9564831
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9564830
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日 真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9564826
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日 真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9564824
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日 真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9537049
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、出迎えの人たちに手を振って車に乗り込む横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から降りて祖国の土を踏みしめ、出迎えの人たちに手を振りながら車に乗り込む横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 5ページ掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9537044
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、祖国の土を踏み、第一声をあげる横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から降りて祖国の土を踏みしめ、第一声をあげる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 5ページ掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9537041
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、祖国の土を踏み、第一声をあげる横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から降りて祖国の土を踏みしめ、第一声をあげる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 5ページ掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9537035
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、祖国の土を踏み、第一声をあげる横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から降りて祖国の土を踏みしめ、第一声をあげる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、影山日出夫撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 5ページ掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9537022
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9537015
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9537012
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日 真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9537008
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日 真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9537001
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日 真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9536983
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日 真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙掲載の別カット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9497346
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、両わきを抱えられながらタラップを降りる横井庄一さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で救出されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 サンデー毎日1972年(昭和47年)2月20日号 表紙のカット, 日本, 東京都, 大田区・羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9497342
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、祖国の土を踏み、第一声をあげる横井さん , 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、羽田空港に到着した日航機から降りて祖国の土を踏みしめ、第一声をあげる横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 サンデー毎日1972年(昭和47年)2月20日号 3頁のカット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9497230
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、羽田空港から検査のため国立第一病院に到着した横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で救出されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 羽田空港から検査のため国立第一病院に到着、報道陣に囲まれる横井庄一さん=東京都新宿区の国立第一病院で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 サンデー毎日1972年(昭和47年)2月20日号 4頁・5頁のカット, 日本, 東京都, 新宿区・国立第一病院
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9326141
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さん帰国 31年ぶりに母国へ。羽田到着後、日航機の機内でお世話したスチュワーデスにあいさつする横井さん, 終終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 羽田空港到着後、日航特別機の機内で横井さんをお世話した、名古屋出身のスチュワーデス、松岡真理さんにあいさつする横井さん(左から2人目)=東京都大田区の羽田空港(東京国際空港)で、1972年(昭和47年)2月2日 出版写真部員撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 4頁のカット , 日本, 東京都, 大田区羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9326139
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さん帰国 羽田に到着後、戦友の志知幹夫さんと中畠悟さんの遺骨が一足先にタラップを降りた, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 羽田空港に到着した特別機から、戦友の志知幹夫さんと中畠悟さんの遺骨が一足先にタラップを降りた=東京都太田区の羽田空港で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 11頁のカット, 日本, 東京都, 羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9326086
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、羽田空港から検査のため国立第一病院に到着した横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 羽田空港から検査のため国立第一病院に到着、報道陣に囲まれる横井庄一さん=東京都新宿区の国立第一病院で1972年(昭和47年)2月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 6-7頁のカット, 日本, 東京都, 新宿区・国立第一病院
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9326069
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんグアムから帰国 31年ぶりに母国へ、タラップを降りて車椅子に座り、歓迎の人波に手を振る横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 羽田空港到着後、タラップを降りて車椅子に座り、歓迎の人波に手を振る横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港(東京国際空港)で、1972年(昭和47年)2月2日 出版写真部員撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 5頁のカット , 日本, 東京都, 大田区羽田空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 9326065
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一さんがグアム島から帰国 31年ぶりに母国へ、抱きかかえられるようにしてタラップを降りた横井さん, 終戦後もグアム島のジャングル生活を送っていた元日本兵の横井庄一さん(56)が31年ぶりに帰国した。グアム島で発見されてから10日目の1972年(昭和47年)2月2日午後2時12分、日航特別機で東京・羽田空港に到着した。1941年(昭和16年)8月、日の丸に送られて出発してから31年ぶりに母国の土を踏みしめた横井さんは、「帰ってきました。恥ずかしいけれど……」とタラップを降りたところで第1声をあげた。 グアム島から帰国、抱きかかえられるようにしてタラップを降りた横井庄一さん=東京都大田区の羽田空港(東京国際空港)で、1972年(昭和47年)2月2日 真島誠一撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 表紙のカット , 日本, 東京都, 大田区・東京国際空港
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 6557365
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一が31年ぶりに帰国・羽田空港, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一帰還:昭和47年2月2日午後2時12分、母国に生還した横井さんはタラップを降りると車イスに, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一帰還:31年ぶりに祖国の土を踏み感極まって涙にむせぶ横井さん, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一帰還:母国に第1歩を印した車イスの横井さん。羽田空港は関係者や報道陣でごった返した, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一帰還:31年ぶりに母国へーー抱きかかえられるようにしてタラップを降りる横井さん, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 6473263
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月2日)
横井庄一帰還:新たな涙で遺骨を迎える志知さんと中畠さんの遺族=東京・羽田空港で, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年2月2日
人物:横井 庄一
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RM 13137050
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月)
グアム島の横井庄一。知事主催のパーテイーに出席、カマチョ知事と別れを惜しむ横井庄一
日付:1972年2月1日
人物:横井 庄一
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RM 6473269
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年2月1日)
横井庄一帰還:横井庄一さんが持ち帰った旧日本陸軍の三八式歩兵銃, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年2月1日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月31日)
グアム島で元日本兵を救出、横井庄一さんの穴居(自宅)の内部の様子
日付:1972年1月31日
人物:横井 庄一
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RM 6473384
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月30日)
横井庄一帰還:23歳の時、注文で仕立てた将校服を着て写した写真を手に「これがワシじゃ」と横井さん, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月30日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月28日)
横井庄一帰還:記者会見では元気に語る横井さんだったが、1人のときは病室でいつもうつむいていた, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月28日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月27日)
横井庄一帰還:厚生大臣からの寸志10万円を手に涙ぐむ横井さん, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月27日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月27日)
回顧’72 グアム島で元日本兵の横井庄一さんを発見 31年ぶりに帰国へ。横井さんが住んでいたほら穴住居の入口, 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から27年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 グアム島のジャングルで横井庄一さんが住んでいたほら穴住居の入口=グアム島で1972年(昭和47年)1月27日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)12月31日号 59頁のカット, 米領・グアム, グアム島
日付:1972年1月27日
人物:横井 庄一
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RM 9326134
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月27日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを発見 31年ぶりに帰国へ。厚生大臣から贈られた帰国用の背広を手にする横井さん, 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 厚生大臣から贈られた帰国用の背広などを、中村一成・厚生省援護局長(左)から渡された横井庄一さん=グアム島のグアム・メモリアル病院で1972年(昭和47年)1月27日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 8頁のカット, 米領・グアム, メモリアル病院
日付:1972年1月27日
人物:横井 庄一
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RM 9326132
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月27日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを発見 31年ぶりに帰国へ。横井さんがジャングル生活で使用していた品々, 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 横井庄一さんがジャングル生活で使用していた品々=グアム島で1972年(昭和47年)1月27日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 8頁のカット, 米領・グアム, グアム島
日付:1972年1月27日
人物:横井 庄一
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RM 9326128
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月27日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを発見 31年ぶりに帰国へ。グアム島で横井さんが住んでいたほら穴住居の内部, 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 グアム島のジャングルで横井庄一さんが住んでいたほら穴住居の内部=グアム島で1972年(昭和47年)1月27日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 9頁のカット, 米領・グアム, グアム島
日付:1972年1月27日
人物:横井 庄一
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RM 9326102
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月27日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを発見 31年ぶりに帰国へ。横井さんが住んでいたほら穴住居の入口, 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 グアム島のジャングルで横井庄一さんが住んでいたほら穴住居の入口=グアム島で1972年(昭和47年)1月27日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年(昭和47年)2月20日号 8頁のカット, 米領・グアム, グアム島
日付:1972年1月27日
人物:横井 庄一
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RM 6473389
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月27日)
横井庄一帰還:名古屋市中川区富田町千音寺の行雲寺境内にある横井さんの墓, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月27日
人物:横井 庄一
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RM 6473499
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月26日)
横井庄一帰還:ヒゲをそり、サッパリした姿で日本人記者団に思い出を語る横井さん, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月26日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月26日)
横井庄一帰還:28年間の命を支えてきた数々の道具を前に記者会見する横井さん, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月26日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月26日)
横井庄一帰還:バケツやビンも‥‥炊事はそれほど不自由しなかったという, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月26日
人物:横井 庄一
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RM 6473390
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月26日)
横井庄一帰還:横井さんのひそんでいた穴から10分ほど歩いた小川に残っていた横井さんのエビ取り用のカゴ, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月26日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月26日)
横井庄一帰還:横井庄一さんの母・つるさんの墓に「庄一さんはいきていたのよ」と報告する近所の人, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月26日
人物:横井 庄一
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RM 14959329
残留日本兵 横井庄一(1972年1月25日)
Shoichi Yokoi, 58, at Guam Memorial Hospital in Agana, Guam, Jan. 25, 1972, after he was found in the jungle by fishermen. The former Imperial Army Sergeant reportedly arrived in Guam from Manchuria with Japanese forces in 1943 and fled into the jungle during the U.S. invasion of 1944. He is said to have existed on shrimps, fish and nuts. (AP Photo)
日付:1972年1月25日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月25日)
グアム島で元日本兵を救出、手製の衣服、わずかな身の回り品を持った救出直後の横井庄一さん。
日付:1972年1月25日
人物:横井 庄一
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【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月25日)
グアム島で元日本兵横井庄一さん28年ぶり救出 横井さんが住んでいた洞穴内部、柱もガッチリした穴の中の住居。(1972年1月25日)
日付:1972年1月25日
人物:横井 庄一
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RM 9326136
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月25日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを発見 31年ぶりに帰国へ。横井さんがジャングル生活で使用していた品々, 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 発見の翌日、横井庄一さんの記者会見場に並べられた、横井さんがジャングル生活で使用していた品々=グアム島のグアム第一ホテルで1972年(昭和47年)1月25日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 7頁の写真の別カット, 米領・グアム, グアム島
日付:1972年1月25日
人物:横井 庄一
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RM 9326092
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月25日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを発見 31年ぶりに帰国へ。グアム島のホテルで記者会見をする横井さん, 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 発見の翌日、グアム島のホテルでジャングル生活に使用していた品々を前に、記者会見する横井庄一さん=グアム島のグアム第一ホテルで1972年(昭和47年)1月25日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 8頁のカット, 米領・グアム,
日付:1972年1月25日
人物:横井 庄一
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RM 6569678
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月25日)
[追跡]20世紀 21世紀への伝言 横井庄一さん したくてこうなったんじゃない 横井さんの生活用品, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月25日
人物:横井 庄一
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RM 13321531
グアム島で救出、病院で記者会見する元日本兵・横井庄一さん
グアム島で救出、ウォー・メモリアル病院で記者会見する元日本兵・横井庄一さん。横井さんは終戦から27年間にわたってグアム島に隠れ続けていた。1972年1月25日撮影。2015年11月8日朝刊[四季]掲載。
日付:1972年1月25日
人物:横井 庄一
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RM 6558357
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
グアム島から生還した横井庄一の手縫いの服, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 6557518
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
横井庄一・メモリアル病院収容で笑顔, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 6473506
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
横井庄一帰還:発見された直後、現地の人の説明を受ける。やせ細った腕も痛々しい, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 6558358
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
グアム島のジャングルから生還した横井庄一, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 9536950
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを救出 厚生省援護局長から渡された10万円を手にする横井さん, 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 グアムに来島した中村一成・厚生省援護局長から小遣いとして渡された10万円を手にする横井庄一さん=グアム島のグアム・メモリアル病院で1972年(昭和47年)1月27日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月13日号 66ページ掲載の別カット, アメリカ, グアム,
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 9536920
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを救出 31年ぶりに帰国へ。厚生大臣から贈られた帰国用の背広を手にする横井さん , 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 厚生大臣から贈られた帰国用の背広などを、中村一成・厚生省援護局長(左)から渡された横井庄一さん=グアム島のグアム・メモリアル病院で1972年(昭和47年)1月27日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 8ページ掲載の別カット, アメリカ, グアム,
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 9536918
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを救出 31年ぶりに帰国へ。中村厚生省援護局長(左)と対面した横井さん(中央) , 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 厚生大臣からのメッセージなどを持参した中村一成・厚生省援護局長(左)と対面した横井庄一さん(中央)=グアム島のグアム・メモリアル病院で1972年(昭和47年)1月27日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 8ページ掲載の別カット, アメリカ, グアム,
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 9536914
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを救出 31年ぶりに帰国へ。グアム島のホテルで記者会見をする横井さん , 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 救出の翌日、グアム島のホテルで記者会見する横井庄一さん=グアム島のグアム第一ホテルで1972年(昭和47年)1月25日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 8ページ掲載の別カット, アメリカ, グアム,
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 9536909
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを救出 31年ぶりに帰国へ。グアム島のホテルで記者会見をする横井さん , 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 救出の翌日、グアム島のホテルで記者会見する横井庄一さん=グアム島のグアム第一ホテルで1972年(昭和47年)1月25日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 8ページ掲載の別カット, アメリカ, グアム,
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 9536907
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
グアム島で元日本兵の横井庄一さんを救出 31年ぶりに帰国へ。グアム島のホテルで記者会見をする横井さん , 1972年(昭和47年)1月24日、グアム島のジャングルで元日本兵の横井庄一さんが見つかった。川に仕掛けた網を見にいく途中、現地の漁民2人に発見、保護された。魚や木の実を食べ、「終戦は知っていたが、こわくてジャングルを出られなかった」という。終戦から26年5カ月がたち、56歳になっていた。1915年(大正4年)生まれ、名古屋市で育つ。1941年(昭和16年)の応召で旧満州(中国東北部)へ。1944年(昭和19年)3月、グアム島へ移った。1972年(昭和47年)2月2日、日本に帰国した。 救出の翌日、グアム島のホテルでジャングル生活に使用していた品々を前に、記者会見する横井庄一さん=グアム島のグアム第一ホテルで1972年(昭和47年)1月25日、仁礼輝夫撮影 毎日グラフ1972年2月20日号 8ページ掲載の別カット, アメリカ, グアム,
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 6557364
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
樹皮製洋服火縄など手製の生活用具81点, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 6557363
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
横井庄一・手製のわらじ, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 6557362
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月24日)
横井庄一・魚とりなど手製の生活用品, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月24日
人物:横井 庄一
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RM 6557519
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月23日)
横井庄一・住んでいたジャングルのほら穴 深さ3m、横穴4m、台所トイレベッド付き。 グアム島 1972年01月23日撮影
日付:1972年1月23日
人物:横井 庄一
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RM 6473468
【太平洋戦争】 残留日本兵 (1972年1月)
横井庄一帰還:横井さんがジャングル生活で着ていた上着とズボン, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1972年1月1日
人物:横井 庄一
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