検索結果
117点- 前へ
- /2ページ
- 次へ
-
RM 23524560
ロッキード事件裁判 小佐野ルート 小佐野被告が初公判出廷、起訴事実を全面否認
うつむいて法廷に入る小佐野賢治被告。うしろは大沢一郎弁護士=東京地裁前で21日午前9時35分撮影
日付:1977年7月21日
-
RM 6471535
ロッキード事件 (1977年7月21日)
小佐野賢治 ロッキード事件被告 国際興業社主 偽証罪初公判 冒頭陳述で検察明かす 児玉と共謀, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1977年7月21日
-
RM 155339355
ロッキード事件裁判 児玉ルート 児玉誉士夫被告、初公判に出廷へ
落ち着いた表情で入廷する児玉誉士夫被告(中央、杖を持つ人物)=東京地裁玄関で2日午前撮影
日付:1977年6月2日
-
RM 155339356
ロッキード事件裁判 児玉ルート 児玉、大刀川両被告、初公判出廷へ
入廷する児玉誉士夫被告(最前列手前)後ろは大刀川恒夫被告=東京地裁玄関前で2日撮影
日付:1977年6月2日
-
RM 155339357
ロッキード事件裁判 児玉ルート 児玉、大刀川両被告が初公判出廷 早々に退廷
意見陳述のあと、大刀川恒夫秘書に手を借りながら東京地裁を出る児玉誉士夫被告=2日撮影
日付:1977年6月2日
-
RM 23524550
ロッキード事件裁判 児玉ルート 児玉、大刀川両被告が初公判出廷 早々に退廷
2日午前中の公判を終え、法廷を出る児玉誉士夫被告=東京地裁で撮影 日本/東京都/千代田区 1977年06月02日撮影
日付:1977年6月2日
人物:児玉 誉士夫
-
RM 20066519
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 23611502
ロッキード事件裁判 「児玉ルート」初公判 児玉、大刀川両被告が出廷、起訴事実の大半否認
口を真一文字に結び入廷する児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫秘書=東京地裁玄関で=2日午前9時45分撮影
日付:1977年6月2日
-
RM 23524548
ロッキード事件裁判 児玉ルート 児玉、大刀川両被告が初公判出廷 早々に退廷
ステッキをつき、大刀川恒夫秘書(右端)に腕をとられ足もとを気にしながら東京地裁を出る児玉誉士夫被告(中央)=東京地裁玄関で2日午前11時すぎ撮影
日付:1977年6月2日
-
RM 23503681
ロッキード事件裁判 児玉ルート 児玉誉士夫被告、初公判に出廷へ
小雨の中を緊張した表情で車から降り立った児玉誉士夫被告(中央)右側は大刀川恒夫被告=東京地裁玄関前で2日午前9時45分撮影
日付:1977年6月2日
-
RM 23503680
ロッキード事件裁判 児玉ルート 児玉誉士夫被告、初公判に出廷へ [夕刊ワイド]暴かれる「フィクサー」
隠れ続けた児玉被告もついに……正門が開かれコンチネンタルは東京地裁へ向かった=東京世田谷区等々力で2日午前8時48分、本社ヘリから撮影
日付:1977年6月2日
-
RM 20068038
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告(中央左)。中央右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51頁のカット
日付:1977年6月2日
-
RM 20068037
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、車から降りた児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51頁のカット
日付:1977年6月2日
-
RM 20068036
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不可能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、出版写真部員撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50頁のカット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066533
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出て車に乗り込む児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066532
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出て車に乗り込む児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066531
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告(中央左)。中央右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066529
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066528
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、米津孝撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066527
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出て車に向かう児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、米津孝撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066524
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、米津孝撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066522
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066520
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066518
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066517
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066515
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066514
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066512
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066511
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066510
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066509
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066508
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判途中で退廷、東京地裁玄関を出る児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066502
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告(中央左)。中央右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066500
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066499
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066498
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066497
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066496
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066494
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066492
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066491
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066490
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告(左)=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066489
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、法廷に向かう児玉誉士夫被告(中央左)。中央右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 50ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066488
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、車から降りた児玉誉士夫被告。右は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066485
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、車から降りる児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066483
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、車から降りた児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066482
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、車から降りた児玉誉士夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、吉川秀子撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066481
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 初公判で東京地裁玄関前に到着、車から降りる児玉誉士夫被告。左は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、藤田君幸撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載の別カット
日付:1977年6月2日
-
RM 20066479
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 大勢の報道陣が待ち受ける東京地裁玄関前に到着、車から降りる児玉誉士夫被告。左は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、米津孝撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載
日付:1977年6月2日
-
RM 20066478
ロッキード事件 (1977年6月2日)
1977年(昭和52年)6月2日、ロッキード社の秘密代理人として航空機売込みに暗躍し、全日空へのトライスター売込み報酬など約19億円を受取ったとして所得税法違反(脱税)、外為法違反に問われた児玉誉士夫被告と外為法違反の共犯に問われた同被告の秘書、大刀川恒夫被告の初公判が東京地裁で開かれた。児玉被告は冒頭手続きが終了した段階で、脳血栓後遺症のため長時間の在廷は不能とされ、退廷した。 大勢の報道陣が待ち受ける東京地裁玄関前に到着、車から降りる児玉誉士夫被告。左は大刀川恒夫被告=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)6月2日、米津孝撮影 毎日グラフ1977年6月19日号 51ページ掲載
日付:1977年6月2日
-
RM 155339354
ロッキード事件裁判 児玉ルート 児玉誉士夫被告、初公判に出廷へ 私邸前で警備対策
児玉宅前の路上では警察官が出廷時の警備対策にあわただしく=東京世田谷区等々力で1日午後4時50分撮影
日付:1977年6月1日
-
RM 23503679
ロッキード事件裁判 児玉ルート 児玉誉士夫被告、初公判に出廷へ
児玉初公判を前に早くもあわただしさを見せる東京地裁前=1日午後5時撮影
日付:1977年6月1日
-
RM 23650059
ロッキード事件 「ロッキード怪電話事件」初公判 鬼頭元京都地裁判事補、軽犯罪法違反を全面否認 笑顔で退廷
初公判を終え、報道陣にもみくちゃにされながらも笑顔を見せる鬼頭史郎被告=6日午後3時40分撮影
日付:1977年5月6日
-
RM 23650058
ロッキード事件 「ロッキード怪電話事件」初公判 鬼頭元京都地裁判事補、軽犯罪法違反を全面否認 笑顔で入廷
渋谷簡裁に入る鬼頭史郎被告=6日午後零時42分撮影
日付:1977年5月6日
-
RM 6503709
ロッキード事件 (1977年3月16日)
田中角栄 衆院議員 元総理大臣 元自民党総裁 ロッキード事件公判で入廷, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1977年3月16日
人物:田中 角栄, 早坂 茂三
-
RM 23503671
ロッキード事件裁判 第5回公判 丸紅ルート 出廷する田中元首相 「七日会」主なき幕引き
七日会解散式をよそに田中角栄元首相は東京地裁へ
日付:1977年3月16日
人物:田中 角栄
-
RM 23611495
ロッキード事件裁判 「丸紅ルート」第3回公判 田中元首相ら5被告出廷 相変わらず満員の傍聴席
ロッキード裁判の関心度は相変わらず、この朝も傍聴人が列をつくった=東京地裁前で2日午前8時30分撮影
日付:1977年3月2日
-
RM 13398804
ロッキード事件 (1977年3月2日)
ロッキード事件 丸紅ルート第3回公判に出廷した田中角栄元首相。(東京地裁で、1977年3月2日撮影)2日夕刊掲載。
日付:1977年3月2日
人物:田中 角栄
-
RM 6503599
ロッキード事件 (1977年2月22日)
田中角栄 衆院議員 元総理大臣 ロッキード事件丸紅ルート第2回公判で入廷, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1977年2月22日
人物:田中 角栄
-
RM 23611490
ロッキード事件裁判 「丸紅ルート」第2回公判 田中元首相ら5被告、無罪主張し反撃作戦
傍聴しようと並んだ人々=東京地裁で22日午前8時40分撮影
日付:1977年2月22日
-
RM 13399459
ロッキード裁判・丸紅ルートの第二回公判 東京地裁に入る元首相の田中被告
ロッキード裁判・丸紅ルートの第二回公判 東京地裁に入る元首相の田中角栄被告。1977年2月22日撮影。同日夕刊掲載。
日付:1977年2月22日
人物:田中 角栄
-
RM 155339310
若狭得治 全日空会長 ロッキード事件全日空ルート 第2回公判、東京地検に入廷する
ロッキード事件「全日空ルート」裁判第2回公判、東京地検に入廷する若狭会長
日付:1977年2月21日
-
RM 23387955
ロッキード事件 ロッキード怪電話事件 鬼頭判事補を罷免追訴、職務停止へ
鬼頭史郎判事補弾劾裁判について協議する裁判員会議(左から3人目は荒船清十郎裁判長)=参院第2別館で9日午後撮影
日付:1977年2月9日
-
RM 155339311
若狭得治 全日空会長 ロッキード事件全日空ルート 初公判を終え、うつむいて退廷する
ロッキード事件「全日空ルート」初公判を終え、うつむいて退廷する若狭被告=東京地裁前で
日付:1977年1月31日
-
RM 155339315
若狭得治 全日空会長 ロッキード事件「全日空ルート」初公判
ロッキード事件「全日空ルート」初公判を終え、報道陣のライトを浴び、身をすぼめて迎えの車に乗り込む若狭被告=東京地裁前で
日付:1977年1月31日
-
RM 23632823
ロッキード事件裁判 「全日空ルート」初公判 橋本元運輸相ら、起訴事実を全面否認 退廷する橋本被告
初公判を終え、退廷する橋本登美三郎被告(中央、車の乗り口に向かう人物)=東京地裁玄関前で31日午後4時43分撮影
日付:1977年1月31日
-
RM 23632822
ロッキード事件裁判 「全日空ルート」初公判 橋本元運輸相ら、起訴事実を全面否認 入廷する若狭全日空会長
入廷する若狭被告(中央)=東京地裁前で31日撮影
日付:1977年1月31日
-
RM 23632820
ロッキード事件裁判 「全日空ルート」初公判 橋本元運輸相ら、起訴事実を全面否認 宣伝カーが目を引く地裁前
傍聴人の行列の前で“徹底究明”を訴える宣伝カー=東京地裁前で31日撮影
日付:1977年1月31日
-
RM 23632819
ロッキード事件裁判 「全日空ルート」初公判 橋本元運輸相ら、起訴事実を全面否認 地裁に入る橋本被告
報道陣のカメラの放列の中、車から降りて秘書と立話する橋本登美三郎被告(右)=東京地裁前で31日午前9時35分撮影
日付:1977年1月31日
-
RM 6467426
橋本登美三郎 衆議院議員 元運輸大臣 ロッキード裁判「全日空ルート」の初公判で東京地裁に入廷, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1977年1月31日
-
RM 177143649
ロッキード裁判・初公判入廷する田中元首相
胸をはって入廷する田中元首相に対して、檜山広丸紅前会長はうつむいたまま。701号法廷は異様な熱気に包まれた。※「1億人の昭和史」(16)P72に掲載
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 6503598
ロッキード事件 (1977年1月27日)
田中角栄 衆院議員 元総理大臣 ロッキード事件初公判で出廷, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 6503597
ロッキード事件 (1977年1月27日)
田中角栄 衆院議員 元総理大臣 ロッキード事件初公判から退廷, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 155339320
伊藤宏 前丸紅専務 ロッキード事件・丸紅ルート初公判で入廷
ロッキード事件丸紅ルート初公判で東京地裁に入廷する伊藤宏被告
日付:1977年1月27日
-
RM 151572615
ロッキード事件裁判 「丸紅ルート」初公判 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張 宝くじ並みの傍聴券に挑む立花氏
傍聴整理券の行列に並ぶ田中金脈追及の立役者・立花隆氏(この後、運良く傍聴券を手に入れた)=東京地裁で27日午前8時50分撮影
日付:1977年1月27日
人物:立花 隆
-
RM 13403477
ロッキード裁判初公判 右手を上げ、ゲタばきで事務所に入る元首相の田中被告
ロッキード裁判・丸紅ルートの第1回公判 その朝、報道陣にいつものように右手を上げ、ゲタばきで事務所に入る元首相の田中角栄被告(中央)。(東京・目白台の自宅で1977年1月27日午前8時25分)27日夕刊掲載
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 20120378
ロッキード事件 (1977年1月27日)
1977年(昭和52年)1月27日、「総理大臣の犯罪」を裁く田中角栄元首相らロッキード事件「丸紅ルート」の5被告に対する初公判が、東京地裁刑事一部で開かれた。田中被告はロッキード社、丸紅からトライスター売込みについて協力を要請され、その報酬として5億円を受け取ったとして、受託収賄罪、外為法違反で起訴された。同ルートの被告は、元首相のほか、榎本敏夫・元田中被告秘書、丸紅の桧山広前会長、同社の大久保利春、伊藤宏両前専務の5人。 ロッキード事件「丸紅ルート」の初公判で東京地裁玄関前に到着、車を降りて立ち止まり、両手で背広のボタンをかけ直し、「ヨオッ」と得意のポーズで法廷に向かう被告の田中角栄元首相=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)1月27日、谷田貝高幸撮影 サンデー毎日1977年2月13日号 8-9ページ掲載の別カット
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 23581363
ロッキード事件裁判 「丸紅ルート」初公判 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張 東京地裁前
退廷する被告を一目見ようと窓ごしにのぞく地裁職員=東京地裁で27日午後5時撮影
日付:1977年1月27日
-
RM 23581362
ロッキード事件裁判 「丸紅ルート」初公判 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張 52枚の傍聴券に600人
傍聴券の抽選に600人の列。入廷できるのは52人=東京地裁で27日午前8時40分撮影
日付:1977年1月27日
-
RM 23581361
ロッキード事件裁判 「丸紅ルート」初公判 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張 田中邸前 [夕刊ワイド]
最敬礼 秘書らが見送る中、車に乗り込む田中角栄元首相(中央、カサをさしかけられている)=東京文京区目白台の自宅で27日午前8時54分、本社ヘリ「ジェット・アロー」から撮影
日付:1977年1月27日
-
RM 23503657
ロッキード事件裁判 初公判 丸紅ルート 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張 傍聴券求め [夕刊ワイド]
ロッキード事件を糾弾する「もうガマンならん隊」も傍聴しようと列の先頭に並んだが……=27日午前8時50分撮影
日付:1977年1月27日
-
RM 23503656
ロッキード事件裁判 初公判 丸紅ルート 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張 東京地裁 [夕刊ワイド]
あわただしい東京地裁。左側は傍聴券を求めて抽選に並ぶ人たち=27日午前9時20分撮影
日付:1977年1月27日
-
RM 23503662
ロッキード事件裁判 初公判 丸紅ルート 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張 退廷する田中、榎本両被告
不きげんな表情で退廷する田中角栄元首相(中央)と榎本敏夫秘書(右端)=東京地裁前で27日午後5時8分撮影
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 23503660
ロッキード事件裁判 初公判 丸紅ルート 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張 退廷する田中被告 [田中の意見陳述]
報道陣の列の中を弁護団や裁判所職員に囲まれて退廷する田中角栄元首相(中央後ろ姿)=東京地裁前で27日午後5時8分撮影
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 23503655
ロッキード事件裁判 初公判 丸紅ルート 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張
田中角栄被告 得意のポーズで東京地裁入り=27日午前9時23分撮影
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 23503654
ロッキード事件裁判 初公判 丸紅ルート 田中元首相ら5被告全員、無罪を主張
大勢の報道陣に囲まれて地裁入りする田中角栄元首相=27日午前9時23分撮影
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 20120404
ロッキード事件 (1977年1月27日)
1977年(昭和52年)1月27日、田中角栄元首相らロッキード事件「丸紅ルート」の5被告に対する初公判が、東京地裁刑事一部で開かれた。田中被告はロッキード社、丸紅からトライスター売込みについて協力を要請され、その報酬として5億円を受け取ったとして、受託収賄罪、外為法違反で起訴された。同ルートの被告は、元首相のほか、榎本敏夫・元田中被告秘書、丸紅の桧山広前会長、同社の大久保利春、伊藤宏両前専務の5人。 ロッキード事件「丸紅ルート」の初公判が行われる東京地裁横で、傍聴するため行列の先頭で整理券交付、抽選を待つロッキード事件を糾弾する「もうガマンならん隊」の古宮杜司男さん。52枚の傍聴券を求めて約600人が並び、古宮さんは抽選にはずれた=東京都千代田区霞が関で1977年(昭和52年)1月27日、谷田貝高幸撮影 サンデー毎日1977年2月13日号 12-13ページ掲載の別カット
日付:1977年1月27日
-
RM 20120403
ロッキード事件 (1977年1月27日)
1977年(昭和52年)1月27日、「総理大臣の犯罪」を裁く田中角栄元首相らロッキード事件「丸紅ルート」の5被告に対する初公判が、東京地裁刑事一部で開かれた。田中被告はロッキード社、丸紅からトライスター売込みについて協力を要請され、その報酬として5億円を受け取ったとして、受託収賄罪、外為法違反で起訴された。同ルートの被告は、元首相のほか、榎本敏夫・元田中被告秘書、丸紅の桧山広前会長、同社の大久保利春、伊藤宏両前専務の5人。 ロッキード事件「丸紅ルート」の初公判が行われる東京地裁横で、傍聴するため行列を作って整理券交付、抽選を待つ人たち。52枚の傍聴券を求めて約600人が並んだ=東京都千代田区霞が関で1977年(昭和52年)1月27日、谷田貝高幸撮影 サンデー毎日1977年2月13日号 10ページ掲載の別カット
日付:1977年1月27日
-
RM 20120402
ロッキード事件 (1977年1月27日)
1977年(昭和52年)1月27日、「総理大臣の犯罪」を裁く田中角栄元首相らロッキード事件「丸紅ルート」の5被告に対する初公判が、東京地裁刑事一部で開かれた。田中被告はロッキード社、丸紅からトライスター売込みについて協力を要請され、その報酬として5億円を受け取ったとして、受託収賄罪、外為法違反で起訴された。同ルートの被告は、元首相のほか、榎本敏夫・元田中被告秘書、丸紅の桧山広前会長、同社の大久保利春、伊藤宏両前専務の5人。 ロッキード事件「丸紅ルート」の初公判が行われる東京地裁横に停まった「ロッキード事件の幕引を許すな」の看板を掲げた「ロッキード疑獄の究明を最後まで見届ける市民の会」の宣伝カー=東京都千代田区霞が関で1977年(昭和52年)1月27日、谷田貝高幸撮影 サンデー毎日1977年2月13日号 11ページ掲載の別カット
日付:1977年1月27日
-
RM 6558468
ロッキード事件 (1977年1月27日)
ロッキード事件・初公判で行列する傍聴人, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1977年1月27日
-
RM 13403485
ロッキード裁判初公判を伝える銀座の電光ニュース
ロッキード裁判・丸紅ルートの第1回公判を伝える銀座の電光ニュース。(1977年1月27日撮影)
日付:1977年1月27日
-
RM 13403482
ロッキード裁判初公判を終え、右手を上げて東京地裁を出る元首相の田中被告
ロッキード裁判・丸紅ルートの第1回公判 初公判を終え、右手を上げるおなじみのポーズで東京地裁を出る元首相の田中角栄被告。(東京・霞が関で1977年1月27日)28日朝刊掲載
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 13403480
ロッキード裁判初公判 取材陣が取り囲む中、東京地裁に入る元首相の田中被告
ロッキード裁判・丸紅ルートの第1回公判 報道陣のカメラの放列の中、東京地裁に入る元首相の田中角栄被告(中央)。(東京・霞が関で1977年1月27日)
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 13403478
ロッキード裁判初公判 東京地裁に到着した元首相の田中被告と待ち構える取材陣
ロッキード裁判・丸紅ルートの第1回公判 東京地裁前に到着した元首相の田中角栄被告とカメラの放列を敷いた報道陣。(東京・霞が関で1977年1月27日)27日夕刊掲載
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 13403490
ロッキード裁判初公判を傍聴し、記者の質問に答える評論家の立花隆 (1977年1月27日)
ロッキード裁判・丸紅ルートの第1回公判を傍聴し、インタビューに答える評論家の立花隆。同評論家は、文芸春秋「田中角栄研究その金脈と人脈」の筆者。(東京・霞が関で1977年1月27日)
日付:1977年1月27日
人物:立花 隆
-
RM 36810865
ロッキード事件 (1977年1月27日)
Jan. 01, 1977 - The Trial for the Lockheed scandal : The first trial for the Lockheed scandal opened at 10.00 am at Tokyo District Court. Photo Shows Former Prime minister Kakuei Tanaka arriving at the court surrounded by the press. (Credit Image: ゥ Keystone Press Agency/Keystone USA via ZUMAPRESS.com)
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 20120385
ロッキード事件 (1977年1月27日)
1977年(昭和52年)1月27日、「総理大臣の犯罪」を裁く田中角栄元首相らロッキード事件「丸紅ルート」の5被告に対する初公判が、東京地裁刑事一部で開かれた。田中被告はロッキード社、丸紅からトライスター売込みについて協力を要請され、その報酬として5億円を受け取ったとして、受託収賄罪、外為法違反で起訴された。同ルートの被告は、元首相のほか、榎本敏夫・元田中被告秘書、丸紅の桧山広前会長、同社の大久保利春、伊藤宏両前専務の5人。 ロッキード事件「丸紅ルート」の初公判で東京地裁玄関前に到着、大勢の報道陣が待ち構える中、車を降りて法廷に向かう被告の田中角栄元首相=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)1月27日、谷田貝高幸撮影 サンデー毎日1977年2月13日号 8-9ページ掲載の別カット
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 20120384
ロッキード事件 (1977年1月27日)
1977年(昭和52年)1月27日、「総理大臣の犯罪」を裁く田中角栄元首相らロッキード事件「丸紅ルート」の5被告に対する初公判が、東京地裁刑事一部で開かれた。田中被告はロッキード社、丸紅からトライスター売込みについて協力を要請され、その報酬として5億円を受け取ったとして、受託収賄罪、外為法違反で起訴された。同ルートの被告は、元首相のほか、榎本敏夫・元田中被告秘書、丸紅の桧山広前会長、同社の大久保利春、伊藤宏両前専務の5人。 ロッキード事件「丸紅ルート」の初公判で東京地裁玄関前に到着、大勢の報道陣が待ち構える中、車を降りて法廷に向かう被告の田中角栄元首相=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)1月27日、谷田貝高幸撮影 サンデー毎日1977年2月13日号 8-9ページ掲載の別カット
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 20120382
ロッキード事件 (1977年1月27日)
1977年(昭和52年)1月27日、「総理大臣の犯罪」を裁く田中角栄元首相らロッキード事件「丸紅ルート」の5被告に対する初公判が、東京地裁刑事一部で開かれた。田中被告はロッキード社、丸紅からトライスター売込みについて協力を要請され、その報酬として5億円を受け取ったとして、受託収賄罪、外為法違反で起訴された。同ルートの被告は、元首相のほか、榎本敏夫・元田中被告秘書、丸紅の桧山広前会長、同社の大久保利春、伊藤宏両前専務の5人。 ロッキード事件「丸紅ルート」の初公判で東京地裁玄関前に到着、大勢の報道陣が待ち構える中、車を降りて法廷に向かう被告の田中角栄元首相=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)1月27日、谷田貝高幸撮影 サンデー毎日1977年2月13日号 8-9ページ掲載の別カット
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
-
RM 20120381
ロッキード事件 (1977年1月27日)
1977年(昭和52年)1月27日、「総理大臣の犯罪」を裁く田中角栄元首相らロッキード事件「丸紅ルート」の5被告に対する初公判が、東京地裁刑事一部で開かれた。田中被告はロッキード社、丸紅からトライスター売込みについて協力を要請され、その報酬として5億円を受け取ったとして、受託収賄罪、外為法違反で起訴された。同ルートの被告は、元首相のほか、榎本敏夫・元田中被告秘書、丸紅の桧山広前会長、同社の大久保利春、伊藤宏両前専務の5人。 ロッキード事件「丸紅ルート」の初公判で東京地裁玄関前に到着、大勢の報道陣が待ち構える中、車を降りて法廷に向かう被告の田中角栄元首相=東京都千代田区霞が関の東京地裁で1977年(昭和52年)1月27日、谷田貝高幸撮影 サンデー毎日1977年2月13日号 8-9ページ掲載の別カット
日付:1977年1月27日
人物:田中 角栄
- 次へ
- 前へ
- /2ページ
- 次へ