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RM 6559654
青函トンネル (1988年7月15日)
青函トンネル開通記念の青函博、弁天会場 函館側は2頭のパンダまで動員して目玉にしたが結果は5億円の赤字。1988年07月15日撮影
日付:1988年7月15日
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RM 25479740
青森青森市・青函トンネル内でJR津軽海峡線「北斗星6号」故障 立ち往生3時間
青函トンネルで故障した「北斗星6号」の電気機関車=15日午前9時20分、青森機関区で
日付:1988年3月15日
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RM 6493413
青函トンネル開通 (1988年3月14日)
青函トンネル開通・青函連絡船80年の歴史に幕 航海を終え、函館港内に集結する連絡船, 80年の航海を終え、港内で休息する「摩周丸」(右)など青函連絡船=函館で14日午前8時 北海道/函館港 1988年03月14日撮影
日付:1988年3月14日
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RM 6559651
青函トンネル開通 (1988年3月13日)
青函トンネル吉岡海底駅開業のテープカット トンネルの全長53.85キロにちなんで、53歳の見学客がテープカット。
日付:1988年3月13日
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RM 13639064
津軽海峡線開業 青函トンネル口に向う特急「はつかり10号」 1988年
津軽海峡線開業。青函トンネル口に向う特急「はつかり10号」(手前)と青函連絡船「羊蹄丸」。本州と北海道を地続きにした青函トンネル(延長53・85キロ)を通る津軽海峡線が、いよいよきょう13日開業した。1988年3月13日、本社ヘリから撮影。
日付:1988年3月13日
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RM 6559649
青函トンネル開通 (1988年3月13日)
青函トンネルから出る下り快速海峡1号列車 1988年03月13日撮影
日付:1988年3月13日
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RM 6493412
青函トンネル開通 青函連絡船80年の歴史に幕
青函トンネル開通・青函連絡船80年の歴史に幕 出航する上り最終便の「羊蹄丸」, 5色のテープと「蛍の光」に送られ、函館港を出航する最後の連絡船「羊蹄丸」=13日午後5時 日本/北海道/函館港 1988年03月13日撮影 (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1988年3月13日
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RM 6559647
青函トンネル開通 (1988年3月13日)
青函トンネル・津軽海峡線1号列車の出発 出発式には横路道知事らがテープカット。 1988年03月13日撮影 北海道函館駅
日付:1988年3月13日
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RM 6559653
青函トンネル開通 (1988年3月13日)
青函トンネルの完成で連絡船終幕酒樽を割る 函館港からの最終便羊蹄丸で。80年の航海に終止符。 1988年03月13日撮影
日付:1988年3月13日
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RM 6493389
青函トンネル開通 (1988年3月13日)
青函トンネル開通・JR海峡線が営業運転 トンネルを抜ける1番列車「はつかり10号」 青函トンネルを抜ける函館発盛岡行きの1番列車「はつかり10号」=青森県今別町で13日午前8時42分 1988年03月13日撮影
日付:1988年3月13日
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RM 6493388
青函トンネル開通 (1988年3月13日)
青函トンネル開通・JR海峡線が営業運転 トンネルに入る1番列車「はつかり10号」 上り1番列車、函館発特急「はつかり10号」は、残雪の北海道側トンネル入り口から海底に入った=13日午前8時12分ごろ、北海道地内町湯の里で 1988年03月13日撮影
日付:1988年3月13日
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RM 75071889
津軽海峡線開業
青函トンネル開業 津軽海峡線青森発1番列車となる「海峡1号」の出発式=1988年3月13日 <撮影場所>青森・青森駅
日付:1988年3月13日
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RM 75071883
津軽海峡線開業
バブル 青函トンネル開業 津軽海峡線青森発1番列車となる「海峡1号」の出発式=1988年3月13日 <撮影日>19880313<撮影場所>青森・青森駅
日付:1988年3月13日
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RM 75071885
青函トンネル開業 「海峡1号」出発式
バブル 青函トンネル開業 津軽海峡線青森発1番列車となる「海峡1号」の出発式=1988年3月13日 <撮影日>19880313<撮影場所>青森・青森駅
日付:1988年3月13日
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RM 13639042
青函連絡船 十和田丸、船上の乗客 1988年
青函連絡船 十和田丸、船上の乗客。北海道と本州をレールで結ぶ青函トンネル(53.9キロ)の津軽海峡線が1988年3月13日に開業し、これに伴うJR各社のダイヤ改正が同日、全国一斉に実施された。また、この日を最後に80年の歴史の幕を閉じる青函連絡船の終航式が青森、函館両市で行われ、数々の思い出を刻んできた“海の女王”たちに別れを告げた。1988年3月12日撮影
日付:1988年3月12日
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RM 13639043
青函連絡船 羊蹄丸 1988年
青函連絡船 羊蹄丸。北海道と本州をレールで結ぶ青函トンネル(53・9キロ)の津軽海峡線が1988年3月13日に開業し、これに伴うJR各社のダイヤ改正が同日、全国一斉に実施された。また、この日を最後に80年の歴史の幕を閉じる青函連絡船の終航式が青森、函館両市で行われ、数々の思い出を刻んできた“海の女王”たちに別れを告げた。1988年3月12日撮影
日付:1988年3月12日
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RM 13639044
青函連絡船 十和田丸(全景) 1988年
青函連絡船 十和田丸(全景)。北海道と本州をレールで結ぶ青函トンネル(53.9キロ)の津軽海峡線が1988年3月13日に開業し、これに伴うJR各社のダイヤ改正が同日、全国一斉に実施された。また、この日を最後に80年の歴史の幕を閉じる青函連絡船の終航式が青森、函館両市で行われ、数々の思い出を刻んできた“海の女王”たちに別れを告げた。1988年3月12日撮影
日付:1988年3月12日
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RM 13639045
青函連絡船 石狩丸(全景) 1988年
青函連絡船 石狩丸(全景)。北海道と本州をレールで結ぶ青函トンネル(53.9キロ)の津軽海峡線が1988年3月13日に開業し、これに伴うJR各社のダイヤ改正が同日、全国一斉に実施された。また、この日を最後に80年の歴史の幕を閉じる青函連絡船の終航式が青森、函館両市で行われ、数々の思い出を刻んできた“海の女王”たちに別れを告げた。1988年3月12日撮影
日付:1988年3月12日
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RM 13639046
青函連絡船 石狩丸(全景) 1988年
青函連絡船 石狩丸(全景)。北海道と本州をレールで結ぶ青函トンネル(53.9キロ)の津軽海峡線が1988年3月13日に開業し、これに伴うJR各社のダイヤ改正が同日、全国一斉に実施された。また、この日を最後に80年の歴史の幕を閉じる青函連絡船の終航式が青森、函館両市で行われ、数々の思い出を刻んできた“海の女王”たちに別れを告げた。1988年3月12日撮影
日付:1988年3月12日
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RM 13639047
青函連絡船 石狩丸(横) 1988年
青函連絡船 石狩丸(横)。北海道と本州をレールで結ぶ青函トンネル(53.9キロ)の津軽海峡線が1988年3月13日に開業し、これに伴うJR各社のダイヤ改正が同日、全国一斉に実施された。また、この日を最後に80年の歴史の幕を閉じる青函連絡船の終航式が青森、函館両市で行われ、数々の思い出を刻んできた“海の女王”たちに別れを告げた。1988年3月12日撮影
日付:1988年3月12日
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RM 13639048
青函連絡船 石狩丸(正面) 1988年
青函連絡船 石狩丸(正面)。北海道と本州をレールで結ぶ青函トンネル(53・9キロ)の津軽海峡線が1988年3月13日に開業し、これに伴うJR各社のダイヤ改正が同日、全国一斉に実施された。また、この日を最後に80年の歴史の幕を閉じる青函連絡船の終航式が青森、函館両市で行われ、数々の思い出を刻んできた“海の女王”たちに別れを告げた。1988年3月12日撮影
日付:1988年3月12日
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RM 6493411
青函トンネル開通・青函連絡船80年の歴史に幕 「羊蹄丸」最終便に長い列, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1988年3月12日
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RM 76897792
青函トンネル開業 混雑する青森桟橋の待合室
北海道と本州をレールで結ぶ青函トンネル(53・9キロ)の津軽海峡線が1988年3月13日から開業し、これに伴うJR各社のダイヤ改正が同日、全国一斉に実施される。改正初日の13日は函館、青森双方から青函トンネルを走り抜ける一番列車と、上野、札幌から双方に向かう最初の直行寝台特急の出発式と開業式が行われ、昭和21年の地質調査開始から42年の歳月をかけた世界最長の同トンネルの完成を祝う。1988年3月12日撮影
日付:1988年3月12日
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RM 76897793
大阪発の列車で初めて津軽海峡線を通る「日本海1号」の出発式
大阪発の列車で初めて津軽海峡線を通る「日本海1号」の出発式(JR大阪駅で、12日午後5時35分)‖吉田淳撮影 青函トンネル
日付:1988年3月12日
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RM 76897794
大阪発の列車で初めて津軽海峡線を通る「日本海1号」の出発式
大阪発の列車で初めて津軽海峡線を通る「日本海1号」の出発式(JR大阪駅で、12日午後5時35分)‖吉田淳撮影 青函トンネル
日付:1988年3月12日
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RM 76897795
大阪発の列車で初めて津軽海峡線を通る「日本海1号」の出発式
大阪発の列車で初めて津軽海峡線を通る「日本海1号」の出発式(JR大阪駅で、12日午後5時35分)‖吉田淳撮影 青函トンネル
日付:1988年3月12日
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RM 6559648
青函トンネル・開通、快速海峡号のマーク, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1988年3月1日
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RM 6493405
青函連絡船
[サタデー・アイ]さよなら青函連絡船??白い航跡を残しながら青森に向かう「八甲田丸」, JR青函連絡船は3月13日、その座を世界最長の青函トンネルに譲る。津軽海峡に白い航跡を残しながら青森に向かう八甲田丸。はるか沖に竜飛崎が見える=本社機から川辺章生写す 1988年02月撮影
日付:1988年2月1日
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RM 13635572
青函トンネル (1988年2月)
[写会学’88]用 青函トンネルを走るJR北海道のトンネル試運転列車。1988年2月ごろ撮影。同月26日夕刊([写会学’88]津軽海峡に終楽章のドラが鳴る)掲載。
日付:1988年2月1日
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RM 6493410
青函連絡船
[サタデー・アイ]さよなら青函連絡船??紙テープも復活, JR青函連絡船は3月13日、その座を世界最長の青函トンネルに譲る。復活した別れの紙テープは青函連絡船への惜別を告げる=函館桟橋で「摩周丸」・川辺章生写す 1988年02月撮影 北海道/函館港
日付:1988年2月1日
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RM 6493408
青函連絡船
[サタデー・アイ]さよなら青函連絡船??函館を出港する「摩周丸」, JR青函連絡船は3月13日、その座を世界最長の青函トンネルに譲る。函館を出港する「摩周丸」=幸坂付近で川辺章生写す 1988年02月撮影 北海道/函館
日付:1988年2月1日
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RM 6493406
洞爺丸台風の遭難者慰霊碑「台風海難者慰霊之碑」??[サタデー・アイ]さよなら青函連絡船 洞爺丸台風の遭難者慰霊碑「台風海難者慰霊之碑」。JR青函連絡船は3月13日、その座を世界最長の青函トンネルに譲る。遭難者の船上供養も出来なくなった=函館の七重浜で川辺章生写す 1988年02月撮影
日付:1988年2月1日
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RM 6543491
青函トンネルの石をプレゼントのミス青函博, 青森エキスポ88。1986年01月26日撮影
日付:1988年1月26日
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RM 6559650
青函トンネル開通・ブルトレ北斗星運行始め, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1988年1月1日
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RM 13730491
青函トンネル (1987年12月22日)
一面、雪の原の青函トンネルの青森県今別町側入口。本社機から。1987年12月22日撮影。
日付:1987年12月22日
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RM 13651377
晴海ふ頭の青函連絡船「十和田丸」で北海道フェア カラー 空撮 1987年
北海道フェアに訪れた人たちでにぎわう晴海ふ頭(停泊中の十和田丸)。東京・晴海ふ頭に接岸した青函連絡船「十和田丸」を舞台に北海道産品を即売するイベント「北海道フェア・イン・晴海」(北海道、読売新聞社など主催)が5、6の両日開かれた。1988年3月に青函トンネルに道を譲り、廃止される青函連絡船を惜しむファンも多く、船尾の鉄道引き込み線路やパネル展示を感慨深げに見入ったり、カメラを向ける姿が見られた。2日間で約15万3000人の入場者を記録、即売会では約1億1000万円を売り上げた。本社ヘリから。1987年9月6日撮影
日付:1987年9月6日
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RM 13651270
東京・晴海ふ頭に接岸。青函連絡船「十和田丸」最後の雄姿 1987年
4日午前10時半、東京・晴海ふ頭に接岸し、首都圏に“最後の雄姿”を見せた青函連絡船「十和田丸」(8、335トン)。青函連絡船は、来春、青函トンネルに役割を渡し消え去る。あすから2日間開催される「北海道フェア・イン・晴海」(北海道、読売新聞社など主催)のための“上京”。1200人収容の船室、デッキに約900品目、100トンの道産食料品、民芸品と東京見物に来た約60人の観光客を乗せてやってきた。今朝の晴海ふ頭は雨がパラつくぐずついたあいにくの天気だった。1987年9月4日撮影
日付:1987年9月4日
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RM 13651268
東京・晴海ふ頭に接岸。青函連絡船「十和田丸」最後の雄姿 1987年
4日午前10時半、東京・晴海ふ頭に接岸し、首都圏に“最後の雄姿”を見せた青函連絡船「十和田丸」(8、335トン)。青函連絡船は、来春、青函トンネルに役割を渡し消え去る。あすから2日間開催される「北海道フェア・イン・晴海」(北海道、読売新聞社など主催)のための“上京”。1200人収容の船室、デッキに約900品目、100トンの道産食料品、民芸品と東京見物に来た約60人の観光客を乗せてやってきた。今朝の晴海ふ頭は雨がパラつくぐずついたあいにくの天気だった。1987年9月4日撮影。同日夕刊[話の港]掲載
日付:1987年9月4日
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RM 13744882
日高丸(2代目) 解体されスクラップに/韓国・釜山 1987年
日高丸(2代目)、解体されスクラップに。1988年3月13日、青函トンネルが開通するのに伴い、同日をもって青函連絡船は廃止される。1969年11月進水した青函連絡船「日高丸」は1984年終航。貨物船・日高丸は、1987年、5410万円で落札され、韓国でスクラップにされた。韓国・釜山で。1987年4月撮影
日付:1987年4月12日
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RM 13744876
日高丸(2代目) 解体されスクラップに/韓国・釜山 1987年
日高丸(2代目)、解体されスクラップに。1988年3月13日、青函トンネルが開通するのに伴い、同日をもって青函連絡船は廃止される。1969年11月進水した青函連絡船「日高丸」は1984年終航。貨物船・日高丸は、1987年、5410万円で落札され、韓国でスクラップにされた。韓国・釜山で。1987年4月撮影
日付:1987年4月12日
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RM 6436358
青函トンネル開通記念博覧会。巨大なパビリオンになる旧函館ドック船穀工場。 (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1987年2月1日
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RM 124281347
青函トンネル本坑貫通 トンネル貫通で感激の握手をする山下運輸相(左から2人目)ら関係者
青函トンネル本坑貫通 トンネル貫通で感激の握手をする山下運輸相(左から2人目)ら関係者=1985年3月10日撮影
日付:1985年3月10日
人物:山下 徳夫
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RM 124281350
青函トンネル本坑貫通 青森側と北海道側からたるみこしが出て賑やかな貫通点
青函トンネル本坑貫通 青森側と北海道側からたるみこしが出て賑やかな貫通点=1985年3月10日撮影
日付:1985年3月10日
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RM 6559027
青函トンネル・先進導坑貫通式みこしで通過
青函トンネル・着工以来19年、最後の発破の硝煙が漂うなかで歓声が上がった。1983年01月27日, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1983年1月27日
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RM 34996499
中曽根康弘 (1983年1月27日)
中曽根康弘 総理大臣 青函トンネル貫通 貫通発破のボタンを押す 青函トンネル貫通発破のボタンを押す中曽根康弘首相=東京・千代田区の首相官邸での貫通式で 日本/東京都/千代田区の首相官邸 1983年01月27日撮影
日付:1983年1月27日
人物:中曽根 康弘
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RM 13664989
最後のハッパがかけられ北海道と本州がつながった瞬間 青函トンネルで
青函トンネルの先進導坑が、着工から18年8か月ぶりに貫通。最後のハッパがかけられ北海道と本州がつながった瞬間。秒読みの声に合わせて中曽根首相がボタンを押すと、約七百キロ離れた津軽海峡の地底でドドーンと爆発音が響いた。1983年1月27日午前9時24分撮影。
日付:1983年1月27日
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RM 63759668
青函トンネル・北海道海底部吉岡工区作業坑異常出水事故
北海道・福島町 青函トンネル・北海道海底部吉岡工区作業坑異常出水事故 不気味に迫る水 第2の防水壁構築作業 作業坑でセメント袋を積み、コンクリートを注入して第2バルクヘッドづくり=8日午前6時半撮影 日本/北海道/福島町 1976年05月08日撮影
日付:1976年5月8日
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RM 63759667
青函トンネル・北海道海底部吉岡工区作業坑異常出水事故
北海道・福島町 青函トンネル・北海道海底部吉岡工区作業坑異常出水事故 工事大幅遅れ必至 水止めする作業員 出水を止めようと、用意された2万袋のセメントを次々と搬入する作業員=7日午後4時撮影 日本/北海道/福島町 1976年05月07日撮影
日付:1976年5月7日
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RM 66856245
青函トンネル北海道側吉岡作業坑の異常出水事故
海水か? 作業員全員無事避難 吉岡側作業坑 異常出水があった青函トンネル吉岡側作業坑(坑口から3・509キロ掘り進んだ地点)=1973年12月28日撮影 日本/北海道/福島町 1973年12月28日撮影
日付:1973年12月28日
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RM 20093736
日本海ラインを全走査 青森県東津軽郡・竜飛崎の青函トンネル工事現場近くの墓地と建設作業員のアパート(左奥)
竜飛崎―下関間3328キロの日本海ラインを全走査。青函トンネル建設工事が進む青森県の竜飛崎。本工事開始以来3度目の冬を迎えようとしている。全長54キロの本トンネルの半分を受け持つ竜飛建設所のアパート群も岬になじみ、旅館も完備して工事関係者でにぎわっていた。 青森県東津軽郡・竜飛崎の青函トンネル建設工事現場近くの墓地と建設作業員のアパート(左奥)=青森県東津軽郡三厩村(後の外ヶ浜町)の竜飛崎で、出版写真部員撮影 毎日グラフ1973年(昭和48年)11月11日号 3頁のカット 1973年10月撮影
日付:1973年10月1日
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RM 9325700
青函トンネル 着々と進む工事
夢の青函トンネル 着々と進む工事。トンネル内に勢いよく流れ出す湧水, 津軽半島の最北端竜飛岬は青函トンネルの本州側の要地としていまひとときの話題にのぼっている。東京―札幌5時間15分の夢がやがてこの寒村の下を通り抜けていく。青函トンネル工事は1971年(昭和46年)11月15日、本工事着工の起工式を終えた。北海道上磯郡知内町湯ノ里を結ぶ全長54.2キロの世界最長の海底トンネルは、国鉄が調査に着手してから25年目にしてやっと実現への第一歩を踏み出した。現在掘削中のトンネルは、本トンネルのパイロットトンネルの役目を果たす斜坑、先導抗、作業抗の3つ。坑内の地熱は30度とムシブロ状態、そのうえグリーンタフの割れ目から、毎分7トンもの湧水があふれ出し、工事は難航している。トンネル内に勢いよく流れ出す湧水=青森県で1971年(昭和46年)12月、佐藤竜彦撮影 1971年12月撮影
日付:1971年12月1日
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RM 9325683
青函トンネル 着々と進む工事
夢の青函トンネル 着々と進む工事。トンネル内を走るパイプや配線, 津軽半島の最北端竜飛岬は青函トンネルの本州側の要地としていまひとときの話題にのぼっている。東京―札幌5時間15分の夢がやがてこの寒村の下を通り抜けていく。青函トンネル工事は1971年(昭和46年)11月15日、本工事着工の起工式を終えた。北海道上磯郡知内町湯ノ里を結ぶ全長54.2キロの世界最長の海底トンネルは、国鉄が調査に着手してから25年目にしてやっと実現への第一歩を踏み出した。現在掘削されているトンネルは、本トンネルのパイロットトンネルの役目を果たす斜坑、先導抗、作業抗の3つが急ピッチで進められている。坑内の地熱は30度になりまるでムシブロ状態、そのうえグリーンタフの割れ目から、毎分7トンもの湧水があふれ出し、工事は難航している。狭い斜坑を走るパイプや配線=青森県で1971年(昭和46年)12月、佐藤竜彦撮影 1971年12月撮影
日付:1971年12月1日
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RM 9325758
青函トンネル 着々と進む工事
夢の青函トンネル 着々と進む工事。国鉄の三厩駅と坑口を結ぶ道路, 津軽半島の最北端竜飛岬は青函トンネルの本州側の要地としていまひとときの話題にのぼっている。東京―札幌5時間15分の夢がやがてこの寒村の下を通り抜ける。青函トンネル工事は1971年(昭和46年)11月15日、本工事着工の起工式を終えた。北海道上磯郡知内町湯ノ里を結ぶ全長54.2キロの世界最長の海底トンネルは、国鉄が調査に着手してから25年目にしてやっと実現への第一歩を踏み出した。現在掘削されているトンネルは、本トンネルのパイロットトンネルの役目を果たす斜坑、先導抗、作業抗の3つが急ピッチで進められている。 凍てつくトンネルの向こうに作業舎が建ち、海なりの聞こえた村にも大きな変容の波が押し寄せている。国鉄の三厩駅と坑口を結ぶ道路=青森県東津軽郡で1971年(昭和46年)12月、佐藤竜彦撮影 1971年12月撮影
日付:1971年12月1日
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RM 9325717
青函トンネル 着々と進む工事
夢の青函トンネル 着々と進む工事。トンネル内の掘削作業現場, 津軽半島の最北端竜飛岬は青函トンネルの本州側の要地としていまひとときの話題にのぼっている。東京―札幌5時間15分の夢がやがてこの寒村の下を通り抜けていく。青函トンネル工事は1971年(昭和46年)11月15日、本工事着工の起工式を終えた。北海道上磯郡知内町湯ノ里を結ぶ全長54.2キロの世界最長の海底トンネルは、国鉄が調査に着手してから25年目にしてやっと実現への第一歩を踏み出した。現在掘削中のトンネルは、本トンネルのパイロットトンネルの役目を果たす斜坑、先導抗、作業抗の3つが急ピッチで進められている。坑内の地熱は30度になりまるでムシブロ状態、そのうえグリーンタフの割れ目から、毎分7トンもの湧水があふれ出し、工事は難航している。 トンネル内の掘削作業現場=青森県で1971年(昭和46年)12月、佐藤竜彦撮影 1971年12月撮影
日付:1971年12月1日
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RM 6387314
青森県・竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の工事現場
青函トンネル 青森県・竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の工事現場 青函トンネルの完成は1977年(昭和52年)の予定。青森県の津軽半島竜飛崎から北海道に向かって海底にトンネルが掘り進められている。1970年(昭和45年)現在1315メートル、水平坑の掘削に移った。その海底には資材置き場やボーリング室など、基地が作られていた。近く調査坑は本工事に格上げされ本格的な掘削作業に入る。 青函トンネル調査坑の青森県側工事現場=青森県側の青函トンネル調査坑で1970年(昭和45年)4月26日、佐藤竜彦撮影
日付:1970年4月26日
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RM 6387313
青森県・竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の工事現場
青函トンネル 青森県・竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の工事現場 青函トンネルの完成は1977年(昭和52年)の予定。青森県の津軽半島竜飛崎から北海道に向かって海底にトンネルが掘り進められている。1970年(昭和45年)現在1315メートル、水平坑の掘削に移った。その海底には資材置き場やボーリング室など、基地が作られていた。近く調査坑は本工事に格上げされ本格的な掘削作業に入る。 青函トンネル調査坑の青森県側工事現場=青森県側の青函トンネル調査坑で1970年(昭和45年)4月26日、佐藤竜彦撮影
日付:1970年4月26日
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RM 6387312
青森県・竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の工事現場
青函トンネル 青森県・竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の工事現場 青函トンネルの完成は1977年(昭和52年)の予定。青森県の津軽半島竜飛崎から北海道に向かって海底にトンネルが掘り進められている。1970年(昭和45年)現在1315メートル、水平坑の掘削に移った。その海底には資材置き場やボーリング室など、基地が作られていた。近く調査坑は本工事に格上げされ本格的な掘削作業に入る。 青函トンネル調査坑の青森県側工事現場=青森県側の青函トンネル調査坑で1970年(昭和45年)4月26日、佐藤竜彦撮影
日付:1970年4月26日
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RM 6387311
青森県・竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の工事現場
青函トンネル 青森県・竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の工事現場 青函トンネルの完成は1977年(昭和52年)の予定。青森県の津軽半島竜飛崎から北海道に向かって海底にトンネルが掘り進められている。1970年(昭和45年)現在1315メートル、水平坑の掘削に移った。その海底には資材置き場やボーリング室など、基地が作られていた。近く調査坑は本工事に格上げされ本格的な掘削作業に入る。 青函トンネル調査坑の青森県側工事現場=青森県側の青函トンネル調査坑で1970年(昭和45年)4月26日、佐藤竜彦撮影
日付:1970年4月26日
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RM 6382318
青函トンネル 津軽半島竜飛崎の裏側は巨岩の切り立つ荒々しい風景が続く 青函トンネルの完成は1977年(昭和52年)の予定で青森県の津軽半島竜飛崎から北海道に向かって海底にトンネルが掘り進められている。現在1315メートル、水平坑の掘削に移った。その海底には資材置き場やボーリング室など、基地が作られていた。近く調査坑も本工事に格上げされ本格的な掘削作業に入る。 津軽半島竜飛崎の裏側、日本海に面した海岸線はは巨岩の切り立つ荒々しいながめである。そんなところにもどんな営みをしているのだろうか、数軒の人家が海に向かって建っていた=青森県東津軽郡の竜飛崎で、佐藤竜彦撮影 1970年04月撮影
日付:1970年4月1日
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青函トンネル 津軽半島の竜飛崎の風は強烈、墓標も傾いたまま 青函トンネルの完成は1977年(昭和52年)の予定で青森県の津軽半島竜飛崎から北海道に向かって海底にトンネルが掘り進められている。現在1315メートル、水平坑の掘削に移った。その海底には資材置き場やボーリング室など、基地が作られていた。近く調査坑も本工事に格上げされ本格的な掘削作業に入る。 青函トンネルの入り口の津軽半島竜飛崎の風は強烈で、墓標も傾いたまま=青森県東津軽郡三厩村(後の外ヶ浜町)の竜飛崎で、佐藤竜彦撮影 1970年04月撮影
日付:1970年4月1日
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青函トンネル 津軽半島の竜飛崎にある強風よけのトンネルを通って通学する地元の小学生 青函トンネルの完成は1977年(昭和52年)の予定で青森県の津軽半島竜飛崎から北海道に向かって海底にトンネルが掘り進められている。現在1315メートル、水平坑の掘削に移った。その海底には資材置き場やボーリング室など、基地が作られていた。近く調査坑も本工事に格上げされ本格的な掘削作業に入る。 青函トンネルの入り口の青森県津軽半島の竜飛崎には青いトンネルがあった。通学の子供たちが強風に飛ばされないための通路だ=青森県東津軽郡三厩村(後の外ヶ浜町)の竜飛崎で、佐藤竜彦撮影 1970年04月撮影
日付:1970年4月1日
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青函トンネル 青森県・竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の作業現場 青函トンネルの完成は1977年(昭和52年)の予定で青森県の津軽半島竜飛崎から北海道に向かって海底にトンネルが掘り進められている。現在1315メートル、水平坑の掘削に移った。その海底には資材置き場やボーリング室など、基地が作られていた。近く調査坑も本工事に格上げされ本格的な掘削作業に入る。 竜飛崎から掘り進められた海底トンネル調査坑の作業現場=青森県側の青函トンネル調査坑で、佐藤竜彦撮影 1970年04月撮影
日付:1970年4月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネルの調査坑, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネル調査坑の北海道側吉岡付近の最先端で一服する作業員たち, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネルの調査坑 北海道側から415メートルの海面下に入る地点付近, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネルの調査坑 北海道側から415メートルの海面下に入る地点付近, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネルの調査坑 北海道側から415メートルの海面下に入る地点付近, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネルの調査坑 北海道側から415メートルの海面下に入る地点付近, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネルの調査坑 坑内に設置された掘削機械, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネルの調査坑, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネル調査坑の北海道側吉岡付近の最先端で一服する作業員たち, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル 掘削が進む青函海底トンネル調査坑の北海道側吉岡付近の最先端で一服する作業員たち, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1966年10月1日
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青函トンネル試掘、北海道福島町調査斜坑入り口
青函トンネル試掘、北海道福島町調査斜坑入り口。1965年11月
日付:1965年11月9日
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RM 6404919
生まれ変わる国土 開発がつぎつぎにスタート 青函トンネル 工事はまず冬のきびしい自然とのたたかいである。雪に閉じ込められる前に宿舎を完備して掘削にかからなければならない。飯場というには立派すぎるほどのブロック住宅が寒風をついてつぎつぎに建てられていく=出版写真部写す 1965年撮影
日付:1965年1月1日
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竜飛岬
生まれ変わる国土 開発がつぎつぎにスタート 青函トンネル 本州の最北端、竜飛岬。海岸線は切り立った断崖ばかり。三方の海から吹きつける強風は樹木の生長を許さないさいはての地だ=出版写真部写す 青森県/竜飛岬 1965年撮影
日付:1965年1月1日
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青函トンネル・竜飛海底駅の見物客にぎわい 快速「海峡」で1編成50人に限って見物客を迎えるが、連日満員の賑わい。 青森・竜飛海底駅 1988年08月23日撮影
日付:1963年8月23日
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青函トンネルへ接続の津軽線が開通祝賀列車, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1958年10月1日
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青函トンネル・建設調査の為の無線送受信所, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1955年8月1日
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青函トンネル地質調査ボーリングの櫓, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1955年8月1日
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青函トンネル・海底カメラを使い地底の調査, 1955年撮影
日付:1955年1月1日
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青函トンネル・地質測量・取物調査, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1954年10月1日
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青函トンネル・地質調査, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1954年10月1日
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青函トンネル・海底の地形と地質の調査, 1954年撮影
日付:1954年1月1日
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青函トンネル調査開始・竜飛のボーリング, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1947年9月1日
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青函トンネル調査開始・船内の測深機, (Photo by Mainichi Newspaper/AFLO) [2400]
日付:1947年9月1日
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